こんにちは。Bくまです。

またまたご無沙汰の投稿となりました。 

巷ではコロナウイルスの蔓延で、休校が相次いだり、緊急事態宣言が出されたりとものものしい雰囲気となって参りました。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私はといえば
今年は高三を担当していて、ちょうど卒業式を終えたところで、感慨深さとちょっぴり寂しさを感じています。
ほんとにいろいろありましたね。

ちょうど入試シーズンも終わりかけですが、入試を少し振り返ってみると
早稲田の文化構想学部の入試でRyuko KubotaのMultilingualism論が出たのが印象に残っています。
今日本では、「グローバル化しているのだから、国際共通語として英語を学ぼう」という路線を明確に打ち出していて、昨今の入試改革における英語四技能試験の導入などもそれに端を発しています。
ただ、「本当に英語を"共通語"として日本の言語文化環境で使うのが適切なのか」というのに一石を投じているのがRyuko KubotaのMultiligualism論です。日本語をもっと有効利用できるのではないのかという所謂Japanese as a lingua franca的視点からの示唆には、いろいろ考えさせれるものがあり、本日話すELFについても深く関係する議論です。

また、東大の入試では大問2の英作文のお題が難化し、「言語相対論」などの背景知識がかなり求められました。




さて、こんなブログですが、ありがたいことにコメントをくださる方がおりまして
折に触れて話題として上がるLingua Franca Coreのことについてまとめて書かねばなあとずっと思っていました。

Lingua Franca Coreとは何かというと、私が日本の大学院にいたころに専門的に研究していたELF(English as a lingua franca=共通語としての英語)の領域で出てくる用語で、Jenkins (2000)のThe Phonology of English as an International Languageに出てくる「国際共通語としての英語を使う上での発音に関する共通事項」をまとめたものです。 

※ELFについてのざっくりした説明は こちらに載せていますのでご覧ください。

ELF関係の研究を見ていると、ELFの専門でない人たちのELFに関する認識はだいたい上記のJenkins(2000)あたりの認識で止まっている印象を受けます。

たしかにJenkins(2000)は共通語としての英語における草分け的研究で、異文化コミュニケーション研究の金字塔の一つであり、間違いなく大きな影響を与えていることは事実なのですが、ELF=Jenkins(2000)と捉えることにはやや無理があります。というのもELFはとにかく新しい研究分野なのでどんどん発展し、理論的枠組みも研究対象も変わっていっているからです。

ただ、先ほども書きました通り、この書籍で扱われているLingua Franca Coreという概念は、いくらELF研究の中では古典的になってしまったとはいえ、認知度の高い概念であること、ひょっとすると発音指導教育のヒントになる可能性もあることを鑑み、Jenkins(2000)をリヴィジットして紹介できないかなあと思っておりました。

ということで、このシリーズは何回かにわたって書いていこうと思っているのですが
私が今一度Jenkins(2000)を読み直しつつ、気になるチャプターについて私のコメントも入れつつ、一記事に一チャプターというペースで書いて、紹介していこうかと思います。


ということで、第一回の今回は第四章"Intelligibility in interlanguage talk"について書きます。
そもそもこのタイトルの意味もよくわからんって人もいると思いますので、簡単に解説をば。

日本語にすると「中間言語を使用した会話における発音のわかりやすさ」といったところでしょうか。
中間言語というのは英語学習者の「未熟な英語と完成した英語の中間にあるレベルの英語」ということです。そのタイトルの通り、「母語が異なる英語学習者どうしがコミュニケーションをする際に起こる理解に関わる問題」を大きなテーマとして挙げています。

そもそもintelligibilityという用語の定義があいまいだという話から始まりますが、このintelligibilityと似たような単語でcomprehensibilityやinterpretabilityという用語が研究者の間で用いられていて、今に至るまでいずれについても明確な定義というのは特に採択されておらず、みんなが何となく「適当に同じような意味で使っている」ようです(笑)

この定義の問題について詳しく話し始めるとspeech act理論や語用論的な話をしなければならないので今回は割愛しますが、 inteligibility、つまり「わかりやすさ」というと「話している内容の伝わりやすさ」にばかりフォーカスした研究がこれまで多かったが、母語でない言語として英語を話す環境、共通語として英語をノンネイティブがお互いに使っている環境では「発音」そのものの認識が理解に大きな影響を及ぼすことが多く、もっと低次のレベルのコミュニケーション要素(=発音)に注目せねば、「わかりやすさ」について議論することはできんよねという話です。

だから、まだ英語の習得が途上にある(そもそもこの言い方もELF的視点から見ると問題がある表現なのですが)人たちの英語での会話で、「発音」が訛っているために起こるmiscommunicationについて紹介する、というのがこの章のテーマです。

これって、直感的に納得していただける話だと思うのです。
よく「日本語訛りで英語が通じない」なんて耳にすると思います。 
まさに、そういった事例について掘り下げるわけです。 

この四章の議論で一つ注目すべき点は音声認識のtop down, bottom upの話を持ち出しているところでしょう。
 (top down, bottom upについては以下の記事で軽く触れています。)
リーディング、リスニングにおける予測(feedforward)の重要性2
リスニングストラテジー(listening strategies)の話1
ディクテーションはボトムアップな練習なのか?


英語学習をしているとき、「音声を理解する」というとボトムアップの話になることが多いと思います。
どういうことかというと「音が聞き取れないから、何を言っているかわからない」ということ。
(当たり前な気がしますね?)
最近スタディサプリのCMを見ててもやってますね。「聞こえないんじゃない、言ってないんだ」って。

私たちは「聞こえないものは聞き取れない」と思い込んでいますが、実は母語でコミュニケーションをしているときは「聞こえていなくても、聞こえる」という現象が起こっています。(詳しくは上記記事内で解説していますのでご覧ください)

「聞こえないもの」を文脈や共有された社会文化的な知識、語彙知識などを用いて埋め合わせをしながら理解するのがtop down的な理解ですが
問題は母語が異なる英語学習者どうしだとこれらをうまく利用できない、つまりtop down的理解が行われないことです。
そもそも言語文化圏が違うので、共有している社会文化的な知識が少ないことに加え、英語学習者なので語彙知識も発達が不十分です。

著者のJenkinsは身近な例を挙げて説明をします。
彼女の娘が学校の様子について話しているときのこと

娘:There is a really big new I.T. complex, and there's a drummer complex, too.
Jenkins: (drummer?)

となったとのこと。

I.T. complex (情報技術科の複合施設)はわかるにしても、drummer complex (ドラム奏者のための複合施設)は意味がわかりません。

ただ、ここで重要なのはdrummer complexというのが文脈や社会文化的な知識(いわば常識)に照らして「おかしい」と感じ取れることです。
「おかしい」とわかるからこそ、ひょっとしたら「聴き間違えたのかもしれない」「違うことを言ってるのかもしれない」と疑うことができるわけです。

結局Jenkinsはその直後一瞬悩んだものの、頭の中で学校に関連した語彙知識を検索して"drama"だということに気づき、娘が発音し間違えていただけだとわかったということです。

たしかに
drummer /drʌmə/

drama /drɑːmə/
はよく発音が似ています。

娘が発音し間違えるのも道理です。

しかし、このようにtop down的な処理のおかげで、発音上の問題というのを乗り越えて、円滑にコミュニケーションすることができます。

ただ、違った母語を話す英語学習者どうしではこうはいかないわけです。

まず、
①先ほど出てきた「おかしい」という感覚を持つことが難しいこと。
そして、
②検索をかけられるだけの語彙知識がないこと。
これらが挙げられるのです。


だからこそ、発音自体が違ったようになされる(=訛る)と、(ボトムアップに頼らざるを得ない)英語学習者は詰んでしまうと。

では、英語学習者のために「必要最低限この発音のルールさえ守ってもらえれば伝わる」みたいなものを提供できればいいのでは、という風に論は展開していきます。

とはいえ、違う母語の英語学習者間の会話では、top downが全くもって使えないというわけでもなく、使うということに意識が向いていないだけかもしれません。
文脈などあらゆるcueを使って、意味を導くというメタ認知的な処理を並行して習得していくことも重要でしょう。

このあたりは私の留学中の経験とも重なるところがあります。
2016年後半から2017年序盤あたりの記事をご覧いただくと、感覚的にわかっていただけるところがあるかもしれません。


※top downとbottom upはまたどこかでリスニングに絡めて話をしないといけない話題だなと思います。

さて、こうやってだらだら書いてもまとまりがなさそうなのでJenkins (2000)の第四章の興味深いところをリスト式にピックアップしていきたいと思います。

1. LよりRの方が発音が難しい。
Jenkinsの研究の中で日本人の英語学習者が出てくるため、私たちにとって直接ヒントになることが多いなと感じます。
そのうちの一つがLとRの発音についてです。

Jenkinsの行ったリサーチの中では、日本人学習者がRをうまく発音できず、Lになってしまったために相手に単語が聞き取ってもらえなかったという事例が一定数見られたということが報告されていいます。

実は世界的に見て、Rの方が複雑な発音であり、Lの発音しかない言語はあるけれども、Rの発音しかない言語はないのだとか。
Rの発音がある言語にはかならずLの発音があり、よりRの方が難しい発音であることが示されています。

現に日本語の「ら行」の発音は、LとRの中間の特殊な発音であり、正確にいうとどちらにも分類されませんが、Lの方が発音しやすい音のため、LもRもどちらも「ら行」の音として処理してしまう日本人は最終的に「ら行」の音はLで発音してしまう傾向があるようです。

現にRをLで言ってしまうという間違いはあったが、LをRにしてしまうという間違いはほぼ見られなかったそう。

これは興味深い話ですね。


2. /ɜː/とか/əːr/の発音が/ɑː(r)/になってしまう。
先ほどもお話ししたようにJenkins(2000)には日本人の英語学習者が出てくるため、そこからヒントになることがかなりあります。
ここでもその例の一つですが
/ɜː/や/əːr/といった発音は日本人英語学習者が苦手とする発音でかつ、他の母語話者と英語でコミュニケーションしたときに聞き取ってもらえない可能性が高い音だそうです。

この音、私はよく「脱力してア〜っていう感じ」といって指導しますが
なかなか難しいのです。

難しい割に英語では登場機会の多い音。
Jenkins(2000)の中では
world
soccer
bird
curtain
scissors

あたりの発音を日本人がしたときに、聞き取ってもらえなかったということで取り上げられています。

これは所謂カタカナ発音の影響もあるのかな。
ワールド
サッカー
バード
カーテン
シザーズ
とカタカナのアーという音に置き換わってしまうので、なかなか発音しにくいのかもしれません。


3. 「ン」で終わる単語のnの発音の消滅。
日本人の発音の特徴に「ン」を発音しなくなるというのがあります。

たとえば
「きようび」
私たちは金曜日と言うとき
き・ん・よ・う・び
と五つの発音をしているつもりですが、実は「きーようび」と発音しています。

「ん」の音は「い」の音が鼻にかかっている音、鼻母音になった音が出ているだけなのです。

この特徴が知らず知らずのうちに英語の発音にも出てしまい聞き取ってもらえないという事例がいくつか見られました。

Japan /dʒæpæ̃/
cushion /kʊʃɔ̃/
animation /ænɪmeɪʃɔ̃/

「〜(ふにゃふにゃ)」マークが上についてるところが、「ン」が発音されなくなってしまっているところです。

あまり大きな発音の違いには思えませんが、これでも聞き取ってもらえなかったりするようです。


4. 日本語の「フ」とか「ウ」は実は"f"や"w"ではない。
これはそこまで問題になるわけではないですが
footやwoodと言うときのfやwの発音は、日本語の「フ」や「ウ」とは少し違います。

たまにこの違いで聞き取ってもらえないことがあるんだとか。




日本人英語学習者にとりわけ有益そうな情報はこのあたりでしょうか。

Jenkinsはこのような英語の発音が母語に影響されたことで、コミュニケーションに障害となる事例を示しつつ、発展途上の学習者にとっては「よりネイティブっぽい英語発音をしよう」とすることは負荷が高いことで、余裕がある時はそうすることができるが、基本はそれだけの認知資源がないと話しています。

だからこそ、Lingua Franca Core、すなわち、英語を母語としない学習者のための発音のモデルをとりまとめようとしたのでしょうね。
ネイティブらしく話せなくても、伝わるにはここさえおさえればいいみたいな基準を設けたかったと。





最後に
Jenkins(2000)はNative speaker標準とは違う発音モデル(the Lingua Franca Core)を示した、言い換えると、英語の発音習得はネイティブらしく発音できるようになるということではなく、母語が異なる英語話者目線で必要な最低限の発音基準を意識することだと示したというのは
「結局、モデルが変わっただけで何かの既定モデルに従う(conformity)こと自体からは逃れられていないではないか」との批判がしばしば聞かれます。

正直Jenkins(2000)だけを読んだ感想としてそう思われるのは無理もないことに思えます。 

つまるところ、「母語の違う英語話者が話したときに、理解不能状態に陥らないように、収束させるモデルを作りましょう」 というのが、この本の根底にある目標だからです。

ただ、今JenkinsはJenkins(2000)はそういうつもりで書いたのではないということを言っていますし、現在、彼女はELFについて全く違った視点を持っている(complexity theoryとか)ことからも、この書籍の議論の延長線上に現在のELF研究があるのでないことはたしかでしょう。


さて、今回は第四章をざっと読んでの有益そうな情報をまとめさえていただきましたが
次回はいよいよLingua Franca Coreの中身を見るべく第六章を取り扱いたいと思います。 


本日も最後までお読みくださりありがとうございました。