こんにちは。
ちょっとまたお久しぶりの投稿です。
ここのところは特に大きなイベントなどはないのですが、日本に帰ってきて何人か知り合いの方に会ったりして、楽しく過ごしていました。
随分と日が経ってしまったのですが、私が帰国前にフィンランドはヘルシンキに訪れたときのELF学会の話でもしようかなと思います。
さて、ELF(English as a lingua franca)についてはこちらでざっくりと話ししているので読んでいただきたいのですが、今回はこの学問分野に関わる国際学会に参加してきました。
様々な先生方と交流することができとても有意義な時間になりました。
全部話すととても長くなってしまうので、今日はその中でも私が日本の大学院時代にお世話になっていた先生がその学会で発表されていた内容に関して、ちょこっとご紹介していきたいと思います。
まず、その先生は何について発表したかといえば、日本における英語の受け止められ方だとか英語に対する認識についてざっくり紹介するというもので、発表冒頭に流した日本の某有名英会話学校のCMが話題になっていました。
そのCMがこちらです。
幾つかのCMが繋がっていますので、一番最初のものをごらんください。
みなさんはどうお感じになられたでしょうか。
英語でセリフを言って、審査官にダメ出しされているのは有名な水原希子さんですが、皆さん彼女の英語についてどう思われたでしょうか?
「え、うまいじゃん」
「まだまだネイティブになりきれてないな」
「うまいのかもよくわからない」
・・・
まあ、いろいろな意見が聞こえてきそうですが
CMの中では、水原さんの英語は「粗い」とされ、もっと英語力を磨くようにと言われています。
きわめつけは「水原希子は英語が下手だ」
私的な感想を言ってしまうと、「何か悪いところある?」という感じです。
正直言って、彼女の英語はとても自然に聞こえるし、世間的に言うなら十分ネイティブっぽいです。
取り立てて聞き取りにくいというものでもない。
実際学会では、これほどのレベルの彼女の発音をさらにネイティブに近づけようというCMの趣旨に、もはや笑いすら起こる始末。
このCMの発音についてまとめると
・そもそもそんな聞き取りにくい発音ではない。
・ネイティブらしくないかというとそうでもない(そもそもネイティブらしいということの定義は疑問ですが)
というわけで、ここからさらに発音を磨こうとかいうCMの意図ってちょっとおかしくない?というわけなのです。
さて、こういうおかしなCMを作ってしまう側もどうかなと思うのですが、これがなんだかんだ受け入れられてしまっているという日本の状況こそが、先生が発表で問題提起したかったポイントだと思います。
上記の動画のコメント欄を見ていただければ分かりますが、意外とCMを擁護する意見が多いのが印象的なのです。
コメントを見てみると、「一般人にはちょっとそれっぽければ全部ネイティブに聞こえてしまうが、センシティブな人が聞くとネイティブと違うとわかる」みたいな、あのCM内での彼女の発音がネイティブの発音と違うということを聞き取れない人=英語ができない人的な、ある種見下したコメントも見受けられます。
一方で、ネイティブと比べると音がはっきりしていなくて聞き取りにくい、という意見もある。
こういったコメントを見ていて私は色々な意味で悲しくなります。
というのも深く掘り下げてみるといろいろ整合性が取れない点が見えてくるからです。
・そもそもネイティブらしい発音とは何か?
皆さんのいうネイティブらしい発音とはなんなのでしょう?
アメリカ人の英語?
アメリカ人でもアンジェリーナ・ジョリーかクロエ・モレッツかロバート・ダウニージュニアかで全然違いますよ。
ネイティブの英語でもこんなにバラバラなのに、では何をモデルにすればいいのでしょうか?
・ネイティブの発音は聞き取りやすいのか?
これは研究ではっきりわかっていることですが、少なくともイギリスネイティブの英語は聞き取りにくいと言われています。
アメリカ英語だって、例えばフロリダのカリブ系の人の発音なんて全然理解できませんよ。でも、彼らもネイティブです。
ネイティブらしいことが聞き取りやすいことになるのでしょうか?
こんな風によーーく考えてみると、ネイティブの英語と一口に言ってもかなり発音にバリエーションがある上、ネイティブらしさ=わかりやすいではないということがわかるのです。
しかし、こういうCMがなんとなくですが受け入れられてしまう。
この背後に見えてくるものは「日本人の持つゆがんだネイティブ観」です。
英語はネイティブらしく話せないといけない
発音がネイティブぽくないと通じない
絶対的正解であるネイティブらしい発音というものが存在する
ネイティブの発音が出来ないと聞き取れない
ネイティブぽく話せないとバカにされる
これらの考え方って実はどれも間違った思い込みです。
でも、こういった考えって、結構日本人一般には広く浸透していると思うのです。
なんとなくよくわかっていないネイティブらしい発音というものに怯え、なんとなくよくわかっていないネイティブ発音を求め続けている人が多すぎるのではないかと。
このCMが意味するものは、日本人の中に根強く残るネイティブ信仰と、中途半端でなくネイティブ発音を完璧にしなければならないという誤った思い込みです。
私の立場から言わせてもらうと
こういったネイティブ信仰こそ日本人を英語から遠ざけている最大の理由に見えてしまってなりません。
あのCMを見た一般の視聴者はどう思うでしょう
「あんな流暢に話せている人でもダメ出しされてしまうんだ」「これじゃあ私なんていつまでたっても英語なんてしゃべれないや」
こんな風に思うのではないでしょうか。
少し断っておくと、日本人がネイティブ発音を話すことはほぼ不可能です。
というのもそもそも日本語を習得する過程で喉の構造や筋肉のつき方が少し変わっていて、どう頑張っても完璧なネイティブの音にはならないのです。
で、根本的な疑問に立ち返ります。
なぜネイティブらしくなくてはならないのか。
日本人はネイティブらしくないと通じないと思っています。
以前の記事でも書きましたが、ネイティブらしさと聞き取りやすさは別の話です。
ネイティブらしいからといって聞き取りやすい発音であるとは限りません。
その上、ネイティブとの会話しか想定していない点も、非現実的です。
ということで、語学学校の策略のせいか、それとも日本人の性かわかりませんが、どうも日本の中で「ネイティブらしくあるべし」みたいな考えがあまりにも根強く残りすぎていると思います。
でも、これって実際に英語が使われている環境をあまり経験していないからだと思うのです。
だから
英語の多様性という、本当の意味での英語のリアルが浸透していないのです。
英語の実情を知る機会がないから、こういった宣伝のイデオロギーに騙されてしまう。
そういう意味で、こういったCMの罪は重いです。
さて、長くなってきたので締めたいと思いますが
このCMについてまとめると
・そもそも水原さんの発音はわかりにくくない
・にもかかわらず、さらにネイティブの発音に近づけないといけないように示唆している
という二点に首を傾げざるをえません。
話は少しずれますが、このネイティブ主義については未だに英語教育研究分野においても根強く席巻しております。
そんな発音をネイティブに近づける研究ばかりやってて何の意味があるのだろうと私には不思議でなりません。
最後に
あの例では演劇だから役作りとしてネイティブらしい発音を極めなければならないのではという擁護がありましたが、私から反論させていただくと
そんな特異な例をCMに持ち出しているとしたら完全なターゲットミスではないか
繰り返しになりますが、ネイティブらしい発音にもいろいろあって演劇をやるためのネイティブらしい発音というような一つ決まった指標があるわけではない
というところでしょう。
たしかに演劇の役作りのために発音を磨くという話はありますが、それはあくまでネイティブスピーカーが、階級やコミュニティーのアイデンティティを示す役のために意図的に使うものです。
なので、英語力の問題ではなくて、演劇の技法の一部みたいなものです。
語学学校なのだから一般的な英語コミュニケーション力を伸ばすという文脈で発音が語られるべきであって、劇の役がどうのこうのというのはお門違いではないかと思わざるをえません。
ということで、未だにネイティブ主義と癒着関係にある日本の英会話学校の実態と、その背後にある日本人のぼんやりしたネイティブ信仰の姿について、あのCMを通して伝えられていればと思います。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
ちょっとまたお久しぶりの投稿です。
ここのところは特に大きなイベントなどはないのですが、日本に帰ってきて何人か知り合いの方に会ったりして、楽しく過ごしていました。
随分と日が経ってしまったのですが、私が帰国前にフィンランドはヘルシンキに訪れたときのELF学会の話でもしようかなと思います。
さて、ELF(English as a lingua franca)についてはこちらでざっくりと話ししているので読んでいただきたいのですが、今回はこの学問分野に関わる国際学会に参加してきました。
様々な先生方と交流することができとても有意義な時間になりました。
全部話すととても長くなってしまうので、今日はその中でも私が日本の大学院時代にお世話になっていた先生がその学会で発表されていた内容に関して、ちょこっとご紹介していきたいと思います。
まず、その先生は何について発表したかといえば、日本における英語の受け止められ方だとか英語に対する認識についてざっくり紹介するというもので、発表冒頭に流した日本の某有名英会話学校のCMが話題になっていました。
そのCMがこちらです。
幾つかのCMが繋がっていますので、一番最初のものをごらんください。
みなさんはどうお感じになられたでしょうか。
英語でセリフを言って、審査官にダメ出しされているのは有名な水原希子さんですが、皆さん彼女の英語についてどう思われたでしょうか?
「え、うまいじゃん」
「まだまだネイティブになりきれてないな」
「うまいのかもよくわからない」
・・・
まあ、いろいろな意見が聞こえてきそうですが
CMの中では、水原さんの英語は「粗い」とされ、もっと英語力を磨くようにと言われています。
きわめつけは「水原希子は英語が下手だ」
私的な感想を言ってしまうと、「何か悪いところある?」という感じです。
正直言って、彼女の英語はとても自然に聞こえるし、世間的に言うなら十分ネイティブっぽいです。
取り立てて聞き取りにくいというものでもない。
実際学会では、これほどのレベルの彼女の発音をさらにネイティブに近づけようというCMの趣旨に、もはや笑いすら起こる始末。
このCMの発音についてまとめると
・そもそもそんな聞き取りにくい発音ではない。
・ネイティブらしくないかというとそうでもない(そもそもネイティブらしいということの定義は疑問ですが)
というわけで、ここからさらに発音を磨こうとかいうCMの意図ってちょっとおかしくない?というわけなのです。
さて、こういうおかしなCMを作ってしまう側もどうかなと思うのですが、これがなんだかんだ受け入れられてしまっているという日本の状況こそが、先生が発表で問題提起したかったポイントだと思います。
上記の動画のコメント欄を見ていただければ分かりますが、意外とCMを擁護する意見が多いのが印象的なのです。
コメントを見てみると、「一般人にはちょっとそれっぽければ全部ネイティブに聞こえてしまうが、センシティブな人が聞くとネイティブと違うとわかる」みたいな、あのCM内での彼女の発音がネイティブの発音と違うということを聞き取れない人=英語ができない人的な、ある種見下したコメントも見受けられます。
一方で、ネイティブと比べると音がはっきりしていなくて聞き取りにくい、という意見もある。
こういったコメントを見ていて私は色々な意味で悲しくなります。
というのも深く掘り下げてみるといろいろ整合性が取れない点が見えてくるからです。
・そもそもネイティブらしい発音とは何か?
皆さんのいうネイティブらしい発音とはなんなのでしょう?
アメリカ人の英語?
アメリカ人でもアンジェリーナ・ジョリーかクロエ・モレッツかロバート・ダウニージュニアかで全然違いますよ。
ネイティブの英語でもこんなにバラバラなのに、では何をモデルにすればいいのでしょうか?
・ネイティブの発音は聞き取りやすいのか?
これは研究ではっきりわかっていることですが、少なくともイギリスネイティブの英語は聞き取りにくいと言われています。
アメリカ英語だって、例えばフロリダのカリブ系の人の発音なんて全然理解できませんよ。でも、彼らもネイティブです。
ネイティブらしいことが聞き取りやすいことになるのでしょうか?
こんな風によーーく考えてみると、ネイティブの英語と一口に言ってもかなり発音にバリエーションがある上、ネイティブらしさ=わかりやすいではないということがわかるのです。
しかし、こういうCMがなんとなくですが受け入れられてしまう。
この背後に見えてくるものは「日本人の持つゆがんだネイティブ観」です。
英語はネイティブらしく話せないといけない
発音がネイティブぽくないと通じない
絶対的正解であるネイティブらしい発音というものが存在する
ネイティブの発音が出来ないと聞き取れない
ネイティブぽく話せないとバカにされる
これらの考え方って実はどれも間違った思い込みです。
でも、こういった考えって、結構日本人一般には広く浸透していると思うのです。
なんとなくよくわかっていないネイティブらしい発音というものに怯え、なんとなくよくわかっていないネイティブ発音を求め続けている人が多すぎるのではないかと。
このCMが意味するものは、日本人の中に根強く残るネイティブ信仰と、中途半端でなくネイティブ発音を完璧にしなければならないという誤った思い込みです。
私の立場から言わせてもらうと
こういったネイティブ信仰こそ日本人を英語から遠ざけている最大の理由に見えてしまってなりません。
あのCMを見た一般の視聴者はどう思うでしょう
「あんな流暢に話せている人でもダメ出しされてしまうんだ」「これじゃあ私なんていつまでたっても英語なんてしゃべれないや」
こんな風に思うのではないでしょうか。
少し断っておくと、日本人がネイティブ発音を話すことはほぼ不可能です。
というのもそもそも日本語を習得する過程で喉の構造や筋肉のつき方が少し変わっていて、どう頑張っても完璧なネイティブの音にはならないのです。
で、根本的な疑問に立ち返ります。
なぜネイティブらしくなくてはならないのか。
日本人はネイティブらしくないと通じないと思っています。
以前の記事でも書きましたが、ネイティブらしさと聞き取りやすさは別の話です。
ネイティブらしいからといって聞き取りやすい発音であるとは限りません。
その上、ネイティブとの会話しか想定していない点も、非現実的です。
ということで、語学学校の策略のせいか、それとも日本人の性かわかりませんが、どうも日本の中で「ネイティブらしくあるべし」みたいな考えがあまりにも根強く残りすぎていると思います。
でも、これって実際に英語が使われている環境をあまり経験していないからだと思うのです。
だから
英語の多様性という、本当の意味での英語のリアルが浸透していないのです。
英語の実情を知る機会がないから、こういった宣伝のイデオロギーに騙されてしまう。
そういう意味で、こういったCMの罪は重いです。
さて、長くなってきたので締めたいと思いますが
このCMについてまとめると
・そもそも水原さんの発音はわかりにくくない
・にもかかわらず、さらにネイティブの発音に近づけないといけないように示唆している
という二点に首を傾げざるをえません。
話は少しずれますが、このネイティブ主義については未だに英語教育研究分野においても根強く席巻しております。
そんな発音をネイティブに近づける研究ばかりやってて何の意味があるのだろうと私には不思議でなりません。
最後に
あの例では演劇だから役作りとしてネイティブらしい発音を極めなければならないのではという擁護がありましたが、私から反論させていただくと
そんな特異な例をCMに持ち出しているとしたら完全なターゲットミスではないか
繰り返しになりますが、ネイティブらしい発音にもいろいろあって演劇をやるためのネイティブらしい発音というような一つ決まった指標があるわけではない
というところでしょう。
たしかに演劇の役作りのために発音を磨くという話はありますが、それはあくまでネイティブスピーカーが、階級やコミュニティーのアイデンティティを示す役のために意図的に使うものです。
なので、英語力の問題ではなくて、演劇の技法の一部みたいなものです。
語学学校なのだから一般的な英語コミュニケーション力を伸ばすという文脈で発音が語られるべきであって、劇の役がどうのこうのというのはお門違いではないかと思わざるをえません。
ということで、未だにネイティブ主義と癒着関係にある日本の英会話学校の実態と、その背後にある日本人のぼんやりしたネイティブ信仰の姿について、あのCMを通して伝えられていればと思います。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (4)
よろしければ、この記事をリンクさせていただいてもよろしいでしょうか。
未だにこんなCMがまかり通ってしまうのかと、複雑な気持ちです。
もちろんリンクは自由に使用してくださって結構です。
特にLFCについて興味があります。ブログ主さんの知っている範囲でもう少しLFCについて教えていただけたらと思います!
コメントありがとうございます。
ELFについて大学で学んでいると聞いて嬉しくなりました。
LFCについて興味をもってらっしゃるのですね。
今度LFCについて少しまとめた記事を書いてみようかと思います。
ELFの研究テーマとしてはやや古いものになりますが、その辺りも踏まえて書いてみたいと思います。
少し時間がかかるかもしれませんが、しばしお待ちいただければと思います。